「守・破・離」って言葉の通り、何事も基本が大事。
それが誰もが知っていることだと思います。
私も日々実感していますが…
ただ、過去の経験や最近のクリエイターさんを見ていてときどき思う「例外」っていうのがありまして。
既成概念に縛られて、身動きしづらくなってるかたに効く話かも知れません。
「あなたは、好きなように表現するのがいい」と言われた話

「あなたは、好きなように表現するのがいい」
こういった趣旨のことを、複数の人にいわれたことがあるんです。
今思うと、物心ついたときから「自分の表現方法」を探してきたんですが…
- 漫画を描く
- 習字・書
- 美術学校に進学しようかなと思った(結局してないけど)
- 和楽器(箏)と唄
- ビーズアクセサリー作り
- ピアノ
- 広告業(デザイン)
- 絵画
- 編み物
- 文章
こうして見てみるといっぱいやってるなぁ。
「ハマるもの」がなかなか見つからなかったんですよね。
もちろん、基礎練習をがんばってやったものがほとんど。
でも、絵画教室でこう言われたのを今でもよく思い出すんです。
「あなたは、頭に浮かんだものを自由に表現するほうが、きっと向いているよ」
先生は、現代アーティスト。
でも、そこの教室は、美大の受験対策もやっていて結構スパルタな印象でした。
もちろん、デッサンのプログラムとかもバンバンやっていた。
「何事も基本が大事」と思っていたので、先生に「私もデッサンとか勉強した方がいいんじゃないでしょうか」と相談したところ、先ほどのような答えが返ってきたんです。
「そういうの(デッサンとか)を学ぶのは、あなたの場合、何か違うんだ」と。
文章を書くことにおいても同じことを言われた

今は、文章を書くことに全振りしている状況ですが…
やっぱり先日、同じようなことを言われました。
7月初旬。
「お金を稼ぐことや役立つこと、読まれることは全部横に置き、ただ書きたいことを書きまくる」ということをやったんですが。
それをたまたま、母と電話で話したときに言いました。
すると「あんたは、そうやって好きなようにしてるのが一番ええんちゃうか〜」という返事が返ってきました。
その後ろからは、父の「何でも、継続〜」という声が聞こえた(笑)
ちなみに母は水彩画、父は木版画をやっています。
母は今のところ趣味ですが、父は作品に8万円ほどの値がついたことがあります。
兄は電機メーカーの開発技術職。
一家でクリエイターなのです。
誰にも「そんな、お金にならんことやめろ」と言われない環境ってありがたい。
ま、生活保護や障害者だからというのもあるでしょうが。
話を戻すと、私には短いながらアフィリエイト経験がありまして。
最低限「読まれることを意識して書く癖」はついてると思います。
Webライター時代に「日本語が間違えている」と言われ、文章術の本を読んだこともある。
でも、いまだに正しい日本語やスッキリした文章ってわけじゃないです。
表現の目的にもよるのかも…

基礎をみっちりやるのか、それとも基礎は最低限にして「自分なりの表現」に向かっていくのか。
それは、表現の目的にもよるかも…
今、書いていてふとそう思いました。
私にとって表現とは「自分のエネルギーを発散するための手段」。
自分の大きすぎるエネルギーを、どうにかしないといけないからやっている。
名前は陽子。
小さいころから「あんたの笑顔はみんなを暖かくするんやからね〜太陽の子なんやで〜」と言われて育ちました。なんか「自分は太陽的なんだ」というのが染み付いています。
西洋占星術のホロスコープを見ても、太陽の力が非常に強い。
太陽の表面温度は6000℃。中心温度は1600万度。
その中心部分ってのは気体・液体・個体のどれでもない「未知なるもの」だそう。
計り知れない(笑)

そういう人は、対外的に何かしていないと、うるさくて暑苦しくて敬遠されがち。
特に、プライベートの人間関係で自分のエネルギーを全開にするとみんなが疲れちゃう…
だからといって抑え込むとそのエネルギーは内側に向かい、心身を傷つけます。
長い間、そういうことを知らなかったので、自分のエネルギーを抑え込んでいました。
そしたら、鬱とパニックになって10年くらい治りませんでした。
つまり、周りの人や自分自身に危害を加えないための「表現」なので…
ネットで不特定多数の人に向けて発信するのはものすごく都合がよかった。
私の話が好きな人が集まってくれて、文章に乗っかっているエネルギーも好きなだけ持って帰ってくれるからです。
だからなおさら、自分の言葉で書くほうがいいように思えてきました。
「自分らしいところ」を遠慮して出せないのって、ふつうに不健康。
自分の持っているありのままのものを、遠慮なく出せる場所や手段が見つかり始めて、正直ホッとしています。
音楽や絵を鑑賞するように読む文章もある

私が好んで読むブロガーや作家、インフルエンサーのかたも「個性や専門性、その人独特のエネルギー」といったものが強い人たちでして。
文章は本来、言葉やその意味を理解しながら読むものですよね。
でも、特にこのお二人の文章を読むようになってからは「音楽や絵を鑑賞するように行間にあるエネルギーを見たり味わったりする読み方もあるんだ」と思うようになりました。
坂口恭平さんは下記の本も面白いです。
- 「才能がない」と諦めている
- 「好きなことをしたいけど収入が…」と思っている
- 下手すぎてやる気が起こらない
こんな悩みを持つクリエイターさんにおすすめです。
「何を言ってるのよ、そんなこと関係ないよ〜それより早くこっちにおいで〜」と手招きされる本です。
途中に筆者が意図的に「楽しさの渦」をつくる場面があります。
そこに差し掛かると、勝手に読む速さがどんどん速くなるんですよ。
私は、そうやってあっという間に「楽しさの渦」に巻き込まれ、いろんな悩みがどうでも良くなり、また書くことに向かえてます。だから変な憂鬱感が出てきたら、何回もこの本を開きます。
楽しく楽に続けられる心の持ち方や、もっというと「幸せって何か」について考えられる本。
私はこの本を読んで「1日1万文字書く」ってことに挑戦。
「自分にとってちょうどいい書くペース」を見つけることができ、今も書き続けられています。
必要なことはふさわしいときに学ぶようになってる

結局は、必要なことはふさわしいときに学ぶようになってるんじゃないかなぁと思います。
「前だったら分からなかったことが、今なら分かる」っていうアレね。
基礎的なことが必要なら、いつかつまずきます(笑)
そのときに学べばいいと思います。
「ええ、そんな殺生な…」暴論といわれても反論はしません。
でも、人間はいつだって「自分で気づきたい」のですよ。
ショックを受けたときに学んだことって、忘れない。
習得するのに時間がいるとしても、勝手にがんばるんですよね。
私が、編み物で絵画的な表現がしようと思ったときもそうでした。
最初は好き勝手に作ろうとした。
でも、作りたい形が全然できなかったので基礎練習をやってます。
編むことをひたすらやってたら身体を壊したので、ストレッチや筋トレなど身体づくりも大切にしてます。
まず、やりたくなったことをやってみましょう。
あなたの心のままに、内にあるものを形にしてみましょう。